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雑記: 2004年2月19日 〜 2004年4月26日


2004-02-19-Thu

雑記:

むりやり復帰する。 しかし何か展望が開けたわけでもなんでも無いまま。

2004-02-20-Fri

アニメ:「光と水のダフネ」

運良くだか悪くだかわからないけど、ある種のタイミングのようなもの。 [追記: 最終話まで見たけど面白かった。 ときどき絵が乱れていたけど、それはそういうものなのか]

上下分冊だったから「前日島」の文庫を買わなかったけど、 なんとなく分冊でなくても買ってなかったような気がした。

雑記: 微妙なミスディレクション

四谷通りの車販売店の前を通った時に、 「フーコーの振り子」や「前日島」は面白く感じたのに 「薔薇の名前」は読んでいる間つらくてしょうがなかったのはなんでだろう と思った事があった。 ついでにそれで思い出したけど、 2000年以降本山駅から四谷通り経由で大学に行った事が数回しかない。 もしかすると10回は越えているかもしれない。 生協の学食で食事した事が3回しかない (2000年以前2回、2000年以後1回)って事の方が重大か。

森博嗣「数奇にして模型」

なるほど、工科大学ならではの人選だ。 (中略) それは、工学に貢献した三人の大科学者を示している。 工学部には、電気、機械、化学、建築、土木、金属など、様々な学科がある。 各分野に共通する先駆者を、科学の発展史の中から選び出すとすれば、 この三人が順当だったのだろう。 たとえば他に、誰が挙げられるだろうか? ナビエ、クーロン、ラグランジュ、ベルヌイ、パスカル、 ストークス、それとも、アインシュタインか......。

読んだ時、その三人というのは ニュートン、オイラー、ガウスだろうとなんとなく推測した。

センター試験の願書を入手しに名工大に行った時(調べると1999年10月19日)、 8桁の数字は見つかったけど、3つではなく4つあった。 4つ見つけるまで、モデルになった場所に行けば答えはわかるのだと思っていた。 名工大の方に刻まれていたのは、 レオナルド・ダ・ヴィンチ、 ガリレオ・ガリレイ、 デカルト、 ニュートン の生没年だった。

2004-02-24-Tue

雑記:

テレビがついていると音を消していても聞こえてくる音(だと思う)がある。 チャンネルを変えたり画面が砂嵐になったのがその音から判る。 という話をすると、聞こえる人と聞こえない人がいるみたい。 聞こえる時もあれば聞こえない事もありずっと聞こえなくなっていたのに 最近聞こえる事が多い。

2004-02-25-Wed

雑記: 数学小説

鏡像原理だか写像定理だかを元ネタにした小説(かなにか)があるらしい。 全く想像がつかない。 それ以前に関数論自体をまともに理解してないけど。

クワインとかパトナムとかは超準モデルの存在を 哲学的な主張の根拠に利用している(くわしくは知らない)けど、 超準モデルをネタにした話ならありそうな気もする。

例えば宇宙全体を記述する公理系が存在する事にする。 各公理が物理法則のようなものなのか、それとも別な何かなのかは置いとく)。 この宇宙はその公理系のモデルだとかいう話が展開されて超準モデルの話もでてくる。 この宇宙が超準モデルだとすれば、 この宇宙の内部にこの宇宙と同型な部分が存在するけど その同型な部分の存在を証明できない、とか何とか。 同型というのを物理的に区別できない事とかに読み変えたり。 疲れてる。

「フーコーの振り子」をぱくった感じで、ガロアは カバラの術(文字の可能なあらゆる置換を行なってどうにかするトーラーとかいうもの) に通じていて、彼がガロア理論に到達したのはカバラの副産物であって、 彼が決闘で命を落す事になった背後に薔薇十字だかテンプル騎士団に関係する 秘密結社の陰謀があったのは間違いない、とか。 「ガロアがカバラに全く言及していないのは 彼が秘密結社に関わっていた事を物語っている」

2004-02-26-Thu

雑記: 他人の読書

本屋で棚を眺めていると 「この(あたりの)本を誰が買っているんだろう」 を思う事がよくある。 置いてあるという事は、それほど離れていない場所の誰かが買っているのだろうけど。

大学の図書館の場合だと逆に、 誰か他にも読むはずだと思う本でも 全く借りられる様子も読まれた形跡も無い事が相当ある。

小説: グレッグ・イーガン「行動原理」

「ハイリック、サイキック、ニューマティック、アキシオマティック ("Hylic, psychic, puneumatic, axiomatic"」 本当になんて言ってたのかは判らないまま。

人を殺したいと思った事が無い。 ひょっとすると子供の頃になら思った事があるかもしれないが。

例えば経済的な事とか何らかの状況をつくり出すためという状況を想像しても、 それ以外のやりかたの方がはるかに望ましいようにしか思えない。 人を殺さなければ絶対達成できない事柄というのもちょっと思い浮かばない。 困窮したあげくの短期的判断とかその場しのぎとか成行きとかでなければ、 選択肢として出てこないような気がする。

「死刑には反対だけどこれだけは例外です」って言葉があるけど、 憎い人や嫌な人を何で殺さなくちゃいけないだ、って感じてしまう。 相手を殺す事が最高の復讐だと感じる人がいるというのは理解できるけど、 おそらく残念な事にそんな風には全く感じる事ができない。

死に至るものすごい苦痛を与えるというのならまだ判るけど、 その場合でも相手が苦痛を感じている状況とかを想像すると嫌な気分になる。 何で新たにそんな嫌な状況をわざわざ作らないといけないんだ。

ひきかえになるような何かがもしあったら、殺したいと望む事が起こるだろうか。 博愛と自己犠牲の精神にあふれていたら殺そうと思うかも知れない。

雑記:

優柔不断だとずっと思ってきたけど、 どれを選択するか決められないのではなく 既にどうするかは決定した後にそれを実行する決断ができない、 って事を自覚させられた。 ようするにそういう事はなるべく考えたくないと思っている。

遅らせれば遅らせるほど状況が悪くなる場合だと、 最終的にもっと嫌な状況になると想像できているのに決断を遅らせ続けて、 その間も嫌な気分のまま逡巡し続ける。

もしそのまま状況が変わらないだろうと予想できる場合なら、 実行する以外にないとも思い続ける事になる。現になっている。

さまざまな決断を遅らせ続けた結果の状況を望ましいとは全く思わないのに、 その結果としてあるこの状況になる過程でなければ おそらく知る事も触れる事もなかったはずの 色々な事を知る事になって良かったとも思ってしまう (それにすがりついているのかもしれないけど)。 でも別の選択をしていた場合でも、たぶん同じ事を思っていただろうとも感じる。

2004-02-27-Fri

言葉:

「太陽と月の見かけの大きさがほとんど同じだってところで、 これは何かあると俺はにらんでたんだ」

雑記:

もしも月に大気があったら日食はどう見えるか という話の答をいまだに知らない事を思い出した。

2004-03-15-Mon

言葉:

「無限の7角形からなるバベルの図書館で(以下略)」

2004-03-18-Thu

雑記:

書いている時はむやみに読点を打ちたくなるけど、 読むときは読点が邪魔に感じることが多い。 文章の酷さはどうにもならない感じだけど。

2004-03-19-Fri

CD: メロキュア「メロディック・ハード・キュア」

音楽は能動的に探したりしないから、 なぜだか聞けた、という事がまずうれしい。

2004-03-23-Tue

本: コリン・デクスター「ジェリコ街の女」

「ウッドストック行最終バス」や「キドリントンから消えた娘」より これや「死者たちの礼拝」のほうが面白かった。 読みやすいからなのか。あるいは昔は左利きでいつの間にか右利きになったとか。

2004-03-27-Sat

雑記: 雪の中の曲

自転車の鍵をたぶん落したと思われる場所を探している途中 「学生さん、何探しとる」と声をかけられた。 確かに学生だから全く正しいのだけど。

探している間、何人もの人達が文化会舘(たぶん)に向かっていくのを見た。 聞こえてくる話声から何かの発表会かコンサートがあるのだと思ったけど、 場所的に見て旭中か旭野高関係の何かだったのかも。

2004-04-01-Thu

雑記:

たぶん10年くらい前から歩道橋の西50メートルぐらいの所にあった 近く通り抜け閉鎖しますとかいう立て看板が去年ぐらいに無くなった。 その閉鎖工事をしていた。 コンクリートブロックの中央分離帯が延長すると思っていたけど、 白いガードレールを立てていた。

2004-04-07-Wed

雑記:

Beep復刻版を読んで、唯一買ったBeepが1988年3月号だったと判明。 ベラボーマンとトイポップ(だったか?)の曲が曖昧に思い浮かぶ。

記憶が非常に漠然としているけど、 どうやらBeepが出ていた時期とゲームが好きだった時期が かなり一致していたみたい。

2004-04-09-Fri

雑記:

前から大学内を歩いている間苦痛で仕方なかったけど、 建物内にいる間、席に座っている間、何か作業をしている間、 苦しくてしょうがなかった。 でも紹介してる最中に「余裕なんて一個もないプレゼンティション」 と何故かメロディ付きで頭に浮かんだ。間違ってるが。 「道しるべは透視する」と同じ。

2004-04-16-Fri

雑記:

つらいまま。 何もかもが嫌に思える。Aの左のCaps Lockとか。 入れ替えてるし、 文章をちょっと書いたり写している時ぐらいしかキーボートに触らないけど。

2004-04-25-Mon

雑記:

完全にどうにもならない状態になっている。 以前書きかけだったりした文章をいくつか引っ張りだしている。 逃避のためだけど。

2004-04-26-Tue

回想: シュレディンガーの猫

量子力学の事をあいかわらず知らないまま。 「ぜひ知りたい」とは思えないからだけど。 教科書的な本を読んでも、 微分方程式の特殊解を求めるような話は苦手だしあまり面白いと思えないし。

小説でも言及されたりするシュレディンガーの猫の話がある。

シュレディンガーがそんな話を作った経緯として 次のような事を読んだ(か聞いた)事がある。

まずフォン・ノイマンが シュレディンガー方程式から波動関数の収縮は説明できない、 という証明(だか主張だかを)する。 そして、さらに次のように主張する。 観測装置も物質なのだから 観測した状態と観測しなかった状態の重ね合わせになり、 波動関数の収縮は起こらない。 観測装置に限らず、結果を表示する装置や人間の眼球や神経なども物質だから これも観測した状態と観測しなかった状態の重ね合わせになる。 そうすると、観測による波動関数の収縮は起こらない事になる。 でも実際には収縮は起こっている。たとえば観測すると干渉縞は消えるし。 では、どうして波動関数は収縮するのか。 それは観測の最後の端にいる人間の自我・意識が作用する事によってだ。

しかし何だか変な気がする。 多分脳をどれだけ調べてもたくさんの細胞があるだけで どこにも意識とか自我とかが見つかったりしないだろう。 また脳以外による「意識」とか「自我」でも収縮するのか。 単に「観測」を、もっとよくわからん「意識」とか「自我」 とかの話にすり替えているだけのようにも見える。 それに意識とか自我が関与しないと収縮しないなら、 電子の位置とかを感光板で観測する実験なんかでは 現像してそれを見るまで収縮しないって事にもなる。 逆に、昔撮った未現像フィルムをめぐる 「量子力学的」お話しとかを作れるかも。

フォン・ノイマンに賛同した人もいる一方、疑問とか反論をあげる人達もいた。 で、シュレディンガーもフォン・ノイマンに対する疑問・反論を示すために 例の猫の話を提出した。

と、上のような話だったと思う。 でも何で読んだのか、どこで聞いたのかは忘れた。

シュレディンガーの猫の話を聞いたり読んだりしても、 上のような話とは全然違う感じがする。 正しい話を調べる気力も無い。


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